東京高等裁判所 昭和43年(行ケ)12号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点がいずれも原告主張のとおりであることは、本件当事者間に争いのないところである。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 本件審決を取り消すべき事由の有無は、本件審決が引用例の開示する技術内容を誤認したかどうか、具体的にいえば、引用例記載のフエニルアラニン誘導体が抗高血圧活性を有する物質として有用性を有することが、本件審決がしたように、引用例第七欄第一七~二五行の記載によつて明確に示唆されていると認めうるかどうかによつて決定されるべきであることは、本件における当事者双方の主張(とくに原告の主張)に徴し明らかなところであるが、本件に現われた証拠関係のもとにおいては、右の点に関する本件審決の認定は相当であり、したがつて、原告の主張は理由がないものといわざるをえない。すなわち、成立に争いのない甲第五号証(引用例)の第七欄第一七~二五行には、その直上の「この発明の新種化合物については多くの新しい用途が見出されるであろうこともまた可能性のあることである(It is also probable that many new useswill be found for the new class of compounds of this invention)」との記述に続いて、「たとえば、α―メチル―3・4―ジヒドロキシフエニルアラニン、α―メチルl3―ヒドロキシ―4―メトキシ―フエニルアラニン及びα―メチル―3―ヒドロキシフエニルアラニンのようなある種の化合物は試験管中で哺乳動物のデカルボキシラーゼによるジヒドロキシフエニルアラニンのデカルボキシル化を抑制することが見出された。それ故に(hence)これらは昇圧性アミンの生成を制限し、停止せしめることにより、ある型の高血圧の治療に効果があるだろう(may be of value)」と記載されているのであるから、これらの記載は、引用例の発明者の単なる願望を表明したものでないことはもち論、単なる思考上の推測ではなく、実験を基礎とした理論をあげての推測であると認めるのが相当であり、したがつて、引用例記載のフエニルアラニン誘導体の抗高血圧活性を有する物質としての有用性を明確に示唆するものというを妨げないとせざるをえない。もつとも、成立に争いのない甲第六号証(スジヨエルドスマの宣誓供述書)及び同第十号証の一ないし三(フアーマコロジカル・レヴユーズ誌、一九五九年第二巻)によれば、引用例が該フエニルアラニン誘導体が高血圧の治療効果があるとすることを前提とした理論については、有力な反対の見解があつた事実、ことに、それが試験管内における動物実験の域を出て生体内において高い活性を示しうるかについては深い疑問が持たれるに至つていた事実を認めることができるが、右甲第十号証によれば、デカルボキシル化作用を抑制するものの中からも、なお生体内で活性のあるものが、選択的にもせよ、得られること、前記理論の基礎となつたと推測されるマーチン等の研究報告は、その実験成績が疑わしいものであつたにかかわらず、刺激的であり、その後の研究を誘発したものとして評価され、あるいは、フエニルアラニンとチロジンが抑制剤としては微弱なものであるという点でその研究が他の学者によつて確認された事実を窺知することができるのであるから、引用例に開示された前記理論が全く決定的には否定されえなかつたものであつたというべく、したがつて、引用例に開示された右理論及びそれに基づく推測が血圧低下の生理作用を有する薬剤を選択する根拠とは全くなりえないということはできない。しかして、原告の挙示援用する全立証によるも、右認定を左右するに足りないから、引用例の記載は、その記載のフエニルアラニン誘導体が抗高血圧活性を有する物質として有用性のあることを何ら示唆するものでないことを前提とする原告の主張は、その前提においてすでに失当であり、到底採用しがたいものというほかはない。
なお、原告は、本願におけるL―異性体の抽出に関する点についての審決の認定を攻撃するが、引用例がフエニルアラニン誘導体の抗高血圧活性を有する物質としての有用性を示唆するものというを妨げないことに関しては先に判示したとおりであり、しかも、ラセミ体を個々の異性体に分割することは普通に行なわれていることであること及び一般に特定の作用を有する物質を各成分に分割して有効成分のみを取り出すことが生体活性を有する化合物の製造の分野において通常のことであることを原告において自認する以上、この点について格別の反証のない本件においては、本件審決が前述のとおり認定したことを誤りであるとはいい難く、他にこの判断を動かす証拠はないから、この点に関する原告の主張も採用しえない。
(むすび)
三 叙上のとおりであるから、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消を求める原告の本訴請求は、理由がないものというほかはない。
〔編註〕 本願発明の要旨および審決理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨
(a) 水溶液中で反応剤を加熱することによつて、式
<省略>
(式中mは0或は1である。nは4以下の整数である。R1は低級アルキル基である。Xは水素・ハロゲン・アルキル基及びトリフルオロメチル基からなる群から選択されたものである。Xは水素以外のものであるときはアミノ酸側鎖に対してパラの位置にある。)の化合物を水溶性シアン化物塩及びハロゲン化アンモニウムと反応せしめて、
式
<省略>
(式中m、n、R1及びXは前述したものと同意義を有す。)の化合物を形成せしめ、(b)後者の化合物を水性酸で処理して、式
<省略>
(式中m、n、R1及びXは前述したものと同意義を有す。)の化合物を形成させ、次に、(c)このアミドを圧力下で水性ハイドロハライドと共に加熱して、式
<省略>
(式中n、R1及びXは前述したものと同意義を有す。)の化合物を形成させ、(d)必要に応じて後者の化合物Ⅳを鉱酸の存在下においてアルカノールと共に加熱することによつて、式Ⅳの化合物から、式
<省略>
(式中n、R1及びXは前述したものと同意義を有す。R2はアルキル基である。)の化合物を形成させ、(e)必要に応じて、式Ⅳの化合物をプロトン受容体の存在下において低級アルカン酸無水物と共に加熱することによつて、式
<省略>
(式中n、R1及びXは前述したものと同意義を有す。R3及びR4は水素及び低級アルカノイル基からなる群から選択されたものである。)の化合物を形成させ、(f)いずれかの望ましい方法によつて、式Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ或はⅥの化合物の一種のその光学的に活性な成分への分割を行い、そして必要な場合は上記方法によつて所望の化合物の合成を行い、或は必要に応じて単離したL(シニスター)絶対配置化合物を使用して水性苛性アルカリと共に加熱することによつて加水分解を行うことを特徴とする式
<省略>
(式中R1、R2、R4、n及びXは前述したものと同意義を有す。R3は水素或はアルキル基である。該化合物はL(シニスター)絶対特殊配置にあつて、そして、実質的にD(レクタス)絶対配置光学的対掌体を含有していない。)の化合物の製法。
本件審決理由の要点
本願発明の要旨は、前項掲記のとおりのシニスターの絶対配置を有するフエニルアラニン誘導体の製法にあるところ、これと本願出願前公知の米国特許第二八六八八一八号明細書(以下「引用例」という)の記載内容とを対比検討するに、本願発明の方法は、出発物質、したがつて、中間体及び目的生成物が引用例の方法に比していくらか広範囲に亘つており、また、二三の所整工程が付加されているが、本質的にはラセミ体を分離してシニスター絶対配置を有する化合物、すなわち、L―異性体を取り出す点で相違する以外は、引用例記載の方法、とくに第三欄下方ないし第四欄上方に一連の反応式で示された方法と一致している。この相違点について検討するに、引用例にはそこに記載されているフエニルアラニン誘導体がラセミ体、あるいは、D―、L―両異性体の混合物ないし共融物である旨の記載はないが、それらがラセミ体であることは、引用例においてdl化合物として記載していることから、また、その製造の過程及びそれ自体の構造から自明であり、そしてラセミ体を個々の異性体に分離することは普通に行われていることであるから、引用例記載のフエニルアラニン誘導体をD―、L―両異性体に分離することは、当業者の必要に応じて試みうることと認められるところ、本願発明においては、L―異性体を抗高血圧活性を有する目的生成物として取り出しているが、引用例記載のフエニルアラニン誘導体が抗高血圧活性を有する物質として有用性を有することは引用例第七欄第一七~二五行の記載の明確に示唆するところであり、そして、ある物質について特定の作用が認められた場合に、それを各成分に分離し、有効成分のみを取り出すことは、とくにこのような生体活性を有する化合物の製造の分野において通常のことであるから、該フエニルアラニン誘導体の抗高血圧剤としての利用を計り、そして、その有効成分としてのL―異性体をラセミ分割の常法によつて分離採取することは、引用例の記載内容から当業者の容易に推考実施しうる程度のことであり、本願発明は、特許法第二十九条第二項の規定により特許を受けることができないものである。